とりあえず走りだしました!

2017年2月20日に右側の人工股関節置換術をし、2012年から始めたランニングが続けられるのか? の記録です。

た、多忙・・・ですた。

毎度の季節労働、ファッションウィークの余波でバタバタでしたが、やっと終了。

この期間のパリは人口が何倍にも増え、街中では英語ばっかりが聞こえてくる(前は英語と日本語ばっかりだったけどね。今は中国語ばっかりなんでしょうけど、それはわかんないから私には聞こえてこない)

この週は、あっちこっちの大きいメゾンで来年春夏のプレタポルテのデフィレがある(いわゆるパリコレっていうやつです 私は関係ないけど)、その集客を狙ってあっちこっちでショールームやポップアップショップがオープン、大きな展示会もやるしで、どこも渋滞・渋滞・渋滞。

そんでもってビル・クリントンプーチンなんかも参列したシラク元大統領の国葬なんかも重なっちゃったもんだから、警備で交通が完全マヒ・・・歩くしかないぜー

あんなにみなさん弔問に並んで、そんなに好きでした?って感じがしますけど、シラク元大統領に関する勝手な私の思い出は というと、

- 結婚した当時パリの市長だったので、区役所での結婚誓約書にサイン時の記念写真の後ろに「どかーん」と額に入った彼の写真が写っている

- シラク大統領といえば大の親日

- 娘さん(クロード)のお子さん(マッタン)はうちの長男の2歳上。なぜかうちのボーイズと同じ公立の小学校に通わせていて、クロードさんご本人が毎日16時30分に学校にお迎えにきてた(子供達が校舎から順番にでてくるので迎えの親は校門近くでたむろして待つ)

- シラクの奥さんMme. ベルナデッタが学校のフェットに来たことがあって(Fête:学期末の6月の ある土曜の午前中なんかに校庭で開かれる小学校の年度末打ち上げみたいなもの。親は手作りのお菓子や軽食、飲み物を持ち寄り、子供は色々なゲームをして遊ぶ。子供主体の日なんだけど、親と親、または先生と親の交流の時間でもある。)

そこで、ある子供がMme. ベルナデッタにサインをねだった。

その子供が差し出したものは、口や手を拭くように置かれていた ペーパーナプキンw。

「あらあら わたくし、この様なものにサインをしたことがございませんのよ。おほほほ」とか言いながら快く引き受けてたのを思い出した。

- マッタンが小学校最終学年だったとき、確かシラクは大統領任期最後の年だったんだけど、マッタンのお誕生日会をエリゼ宮(大統領官邸)でやり、クラスのお友達がたくさん呼ばれたそうだ。わたし的には「それって大丈夫なの〜?」(まあ おじいちゃんの家ではあるんだけど)と思ったが、そういうところをうるさく言わない、言い出す人がいないところがフランス人のクールなところだと感じたものだ。

- シラクのもう1人のお嬢さんは、10代からのシビアな拒食症で若くして亡くなっている。国葬の後、そのお嬢さんが眠っている同じお墓に入ったらしい。

どんなに手を尽くしても助けられなかったお嬢さんと一緒の個人のお墓に・・という本人の希望だったのだろう。(一般的にこちらのお墓 4人まで積み上げられるらしいので、正確には上に眠るということになるのか。私はどうしてもパリの冷たい墓には入る気にならんので、これを機会に火葬にしてくれと遺言。ただこちら、火葬は一般的ではなく処理できる施設が限られ、日本のようにお骨が残るという繊細な燃やし方ではできず跡形もなくなるらしいが、それがよかったりする

- フランスでは一度大統領になると、退いた後も生涯同額の給料が払い続けられるシステムで R。私なんかは「えー なんでー?」とか思うけど、これに反論する仏人には今まで不思議と出会ったことがなく、皆「大統領という職業はそれに値するほどとても大変なんだ」と 一目置いているところがある(たとえその大統領に賛同していない人もだ)

今回シラクが亡くなったと聞いた時に「一人分減りましたね・・」なんて、ぼそっと仏風にブラックを言ってみたら、うちのフランス人全員から つめたーい視線を向けられた(こう言う時は  3(仏人)vs 1(外人)になる)

余談だが、「マクロン」はお給料の支払い期間が長いよー。

頑張ってもらわないとね。

 

レーニング:

いつもの公園で出勤前のジョグ 1h

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走り終わったらさっさとシャワーに戻り、またここに戻ってくるという最高のロケーションのバイト先で毎回助かってますw