とりあえず走りだしました!

2017年2月20日に右側の人工股関節置換術をし、2012年から始めたランニングが続けられるのか? の記録です。

もう一つのまとめ

ランニングには全く関係のない子育て関係の話で、長いっす。

自分用の忘備録で思いつく限りの経過の羅列から:

- 去年 4月29日春休みが終わり普通に始業開始、ランチ後に強い吐き気で保健室から連絡あり。

- 5月1日の祝日の後、学校へ行くも同じ状態で保健室から連絡あり。胃腸関係に問題があるのではないか・・と受診を進められる

- 家に帰っても吐き気は続くので食べられない。胃腸科の専門医に見てもらったり、血液検査などをするが不具合は見当たらず。とりあえず胃薬で様子見。

- 1週間たっても治らず、吐き気が怖くて食べられないという逆向きのサークルに入ってしまい体重がどんどん減る。

- 食べられないから力がでず、ベッドから、部屋から出てこられない、無理して食べようとしても怖くて食べられない。唯一 わさび醤油をつけたアボカドと 苦目のしぶい抹茶ケーキを作ると少し食べる程度(普段は断然フレンチが好きだが、なぜかこの時は日本系オンリーでびっくり)

- 2週間たっても同じ状態、体重がやばい、もう病人。

- この辺りから私もおかしいと考えだす、胃ではない精神的なものだ。

学校について聞くが、本人は心あたりがないという、クラスメートも先生も何も問題はなく、成績もクラスで上位だったし。本人も「自分も学校に行きたいが門をくぐると途端に吐き気がする」という。

- それでも毎朝定時に起きて学校に行こうとするので毎日学校まで付き添ったが、門をくぐった途端にUターンして戻ってくるか、または学校のトイレに直行。

トイレから「ママ、またダメだった・・」と苦しそうな声で電話がある。

この声にはまいる、本人も努力しているがダメみたいだ。

- そのうち、通学のメトロにも乗れなくなり、幼稚園以来付き合いのある近所の幼馴染が誘っても会えなくなり、部屋に引きこもるようになる。食事は食べられないので拒食症状態、これを適応障害というんだろうか。

- いよいよ心療内科へ。ティーン専用の医師がよいとGPから言われ探す探す。こうやって直面してみると拒食症や適応障害ティーンは本当に多いようで、どの専門医も数ヶ月先まで予約が一杯か もう新しい患者は取らない状態だ。ティーンの摂食障害系を治療する専門の公立病院があるのも知った。

- その総合病院に行けばいいかもしれないが、遠いのと、これからしばらく通うことになるなら個人医の方がいいだろうという判断で自宅近くで探す。

- 1人目の医者は経歴からその方面でとても権威のあるドクターだったようだがうちには合わず、特に本人にも。別の医者を探すことに。(私的には時々見せる彼の笑顔は偽物で、目が怖すぎた。優れた精神科医というのはそうなのかもしれないけど・・)

比べて2人目の若い女医はぴったりあった。本人だけでなく私たちにもあったのがよかった。

- 去年の5月、6月はその状態で学校に行けなかったけど、6月末のフランス語のバカロレアは鼻炎などのアレルギー治療に使う薬で頭をほんのり ぼっとさせて無事パス。

それでも試験中はいざという時のためにと足元にゴミ箱をと少人数でを学校側にお願いして試験を受けた。

- もしかしたらこの試験が知らず知らずに強いストレスになっていたのかと考え、終わったら良い方向に向かうのではというのと、夏休み中に盛り返すのを期待してバカンスへ。バカンスはストレスはなく楽しいはずだからそういった症状はでないだろうと医者も私たちも期待していた。

バカンスに入り自宅で食欲が少しでる。8キロ近く減った体重も徐々に戻り始める。ただし近所や学校の友達から誘いがあっても吐き気が怖くて出かけられない。

- いよいよ夏休みで大好きな日本へ。気持ちを切り替えてのはずだったけど、パリを出るとき空港の人混みですでに症状発生、機内は死んだようにずっと寝てて先が思いやられた。

日本到着後も見かけは元気だが日本の家族がびっくりするほど食べられない。

そりゃそうだ、久しぶりに大好きな回転寿司や焼肉に行っても座ってニコニコしているだけで食べないんだもの不気味ですよね。

その前の「エビフライやトンカツなんかをどんだけー」 っていうのをみんな知ってるし。

- 日本到着後、1週間ほどして食欲はなんとなく少し復活、と言ってもアボカド、抹茶ケーキに加えて唐揚げを少々だが、それだけしか食べられない偏食ぶりだ・・(本当に変、しかしどれもカロリーだけはあるから安心だった  笑)

- 予定していた宿泊旅行は無理だと判断し、休憩を入れながら時間に予定なしの日帰りで色々でかけた。

症状発生はの頻度は少し減ったが、症状が出るのはやっぱり混み合った大きい駅とか電車内とかかな、新幹線の駅で1時間くらいトイレから出てこなかったことも・・それでも楽しく過ごしてバカンス終了。

- 新学期でパリに戻る。期待していたがやっぱりダメだ。全然ダメだ。一応出かけるがそんなに混み合ってなくてもメトロに15分ほど乗るとすでにダメになる。もう学校までも持たなくなった。本人からは「精神的なものでなく、喉の通り道がどんどん狭まってきて大きな吐き気がしてくるのだから耳鼻咽喉科にいって喉の中をみてもらいたい」という。

本人は至って真剣だが、これを聞いたとき、まだ半分子供だというのに気づいたのと、精神的なものであることを確信した。

- 夏前に気持ちのあった女医の心療内科に通う。とにかく「この今の状態を長引かせないことが一番大切だ」と言われる。同じ様な症状の子供が通い、学校内に専門医が常駐し、教師もそれなりの知識がある全寮制の適応障害専門の高校がパリ郊外にあることも教えてもらった。が、そこも満員ですぐに転入はできないので入るとしたら来年だと言われる。全寮制というのが気になったのですぐに入れなくて良かったことはある。

- 女医から言われた今後の治療方法としては、投薬、専門のカウンセラー、催眠療法認知療法等があるが、何が効くかは人によって全くことなるのでとにかく色々試してみるしかないと言われる。

- 色々なカウンセリングは集中してかなりの回数を受けたが合わなかったみたいだ、役に立てそうもないと逆に断られたり、こちらからお断りしたり。

うちの場合、最終的によかったのはティーン専用精神科医認知療法 だった(夏休み以降はタイミング悪く18歳の誕生日を迎え成人になってしまったので、親は診察に同席不可になり、医療守秘義務の問題で具体的にどういった内容を話したりしたのかは不明。親単独で予約をとって医者から経過などの話を聞くことは可能だったが)

同時に女医の心療内科からは本格的な投薬治療を勧められる。

それは米国や仏国ではポピュラーで結構飲んでいる人を知っていたが、日本では認定されていない薬。

一番引っかかったのはたくさんの副作用の中の一つに「自殺願望」とある。

治療なのにそんな副作用・・これは親としてそんなものを与えていいのか相当迷った。

でもその時はまだ認知療法もはじめのころで、その効果は見えない状況だったのと、他に選択がなかったので従うことに。

- 10月頃から薬を少量から始める。効き目がでるのは2週間から1ヶ月かかるらしい。

副作用についてはとても心配で、気づかれないように細かく観察する日々。

学校の方は、校長、学年の責任者の先生、校医、保健室の看護婦にそれぞれ予約をとって今後の進め方を相談。まずは1時間クラスを受けられるようにというのが目標となった。学校医との話の中で、この頃は同じ様な症状の生徒が稀ではないことがわかった。

- 授業の大まかな資料はクラスメートに頼んで写真やメールで送ってもらう。

その他に怪我や病気で一般クラスに来られない生徒用の特別対応があることがわかり、主要科目(4教科のみだが)を学校の空いている教室で一人または数人で授業を受けられるとか、または文部省のシステムで、医者の診断書と学校側の状況説明書を提出すると自宅に各教科の先生を週4回送ってくれるという特別対応があることがわかった。そんなこと言っても、実際に動き出すまでに相当の時間がかかるんだろうと思っていたがそこはとても速かった。早速担当部署から携帯に連絡があり選択の4教科と希望日時の確認があった。これは本当にありがたかった。そして、ここでも面白い出会いがあり、その普段はパートタイムで先生をしている送られてきた数学の先生はアラブ系の男性だったが、玄関を入った途端に私の顔をみて靴をささっと脱いだのでピンときた。(こちら、普通なら「すみませんが、脱いでください」と言わない限り皆土足ですから)聞いてみたらやっぱり、奥さんは日本人だった。数学は好きな科目の一つだったのと、そんな共通点から本人との関係もとてもうまく行った。

- しかしながら、薬を飲み始めて2ヶ月たったが公共の場所での吐き気に対する効果はあんまりなし。ただし自宅でなくても、学校の空いている教室で教師と一対一で1時間から2時間程度の授業を受けることができるようにはなった。体育の授業は学校以外の公共のトラックフィールドとかで行うことが多いが、そういう授業にも時々出られるようになった。

- 効果が薄いので薬のドーズをあげてみようということになり、増量したところ1ヶ月後のクリスマス前後にだんだん様子が明るくなるようになった。やっと薬の量がぴったりあったみたいだった。認知療法のカウンセリングも調子よく進んでいるらしかった。食事は自宅でなら普通に食べられるようになるが、家族と一緒でもレストランは無理だった。シェアして食べるので一人の食事量がわからないチャイニーズなんかを提案して行ってみたがダメだった。

- 年を明けて、マンツーマンでなら授業を3時間ほどでも受けられるようになった。それでもカフェテリアでランチというのはまだ全然無理、地下鉄の中でも吐き気は襲ってくるらしいが、そういう時はどうしたらいいかというのを認知療法で習ったらしく15分くらいすれば落ち着くという「はぐらかし方」がわかってきたらしい。

- そこに長兄が帰仏。これで明らかによくなった。当たり前か、4ヶ月の時の保育園から中学までいつも守ってもらってたんだもの。私は逆に、(次男なので)今まで「1人になって両親を独占できる」という機会がなかったので逆にある意味楽しみにしていたのではないかと思っていたが違っていたようだ。

そんな感じで2月の2週間のウィンタースポーツ休暇に入る。そろそろ6月の卒業試験に向けて本格的にならないと間に合わない、間に合わないと留年することになる。

- 週2回家庭教師を雇う、その家庭教師も大学の講師をリタイアしたパートタイマーだが同じ様な症状の生徒を2人教えていると言っていた。

- 外科的な怪我や病気で数ヶ月学校に行けなかった高校3年生のために、バカンス中に文部省が特別催行している卒業試験用の集中講座があるのを知った。人数は各クラス10人程度の少人数制、休暇中のどこかの高校校舎を借りて毎日朝8時半から17時半まで補修授業。ランチは自宅に帰ったりの別行動はできず、生徒10人と先生が一緒にカフェテリアで食べなければならない。このランチが非常に心配だったが食べかどうかは別として、初日になんとかクリアできたのが自信になったようだ。クラスの中にはやはり同じ症状の生徒が数人いたらしい。

- その集中講座で自信もついたこともあり、2週間の冬休みの後から、なんと 終日学校に行けるようになる。ただし混み合ったカフェテリアはまだダメだった。そこは本人なりの解決方法を見つけ、ランチ時間は まずさっさとサンドイッチを買いに外のパン屋に行き、ランチ時間中は学校の筋トレジムが解放されているのでそこで一人で40分ほど筋トレし、最後に買ったサンドイッチを食べて午後の授業に戻るというサイクルにしていたらしい。

スポーツはやっぱりホジティブになる。明るさが一層増した、自信もついてきたらしい。この後は、私たちや本人が驚くほどどんどんいい方向に向かっていく一方だった。

ただ明るすぎて怖いと感じることもあったのも事実、慎重に観察。

2月の休みに続いて、4月の春休みも同様に補修集中講座に自分で申し込み、2週間特訓の末、滑り込みセーフで6月の高校卒業試験合格となった。

 

まとめ:

- 本人と家族にあった医者をできるだけ早く見つけるのが重要かと思う

- 「この状態を長引かせない」という医者の言葉はポイントをついていた

- が、同時に「精神的に問題がある人の時間は普通の人に比べて長い、焦らないこと」だと言われた

- 医者によると、こういう症状は長い休みの後などに突然発生することが多いらしい

- 医者からみると、拒食症、適応障害パニック障害・・等すべて「ディプレッション」で一括りだ

- そういう病人であることをまず親が、そして本人も認定して受け入れること

- ティーンの心の中は、一見そう見えなくてもとても不安定で繊細だと知らされた

- 私は高校時代から、古いしきたりのある実家地域を出たくてしょうがなかったのと、海外に非常に興味があったので「自立する」ということがとても大事だと思っていたが、子供は自分で自然に自立するものなので、親から切り離しにかからなくていいと医者から言われた。むしろ、本人に確認を取りながら、できることは最後までやってあげる、寄り添ってあげる方がよい、それはマザコンとはならないとのアドバイスだった。

- 比べたことはないと思っていたが、知らず知らずにそうなっていて毒親になってたかもと凹んだ

- タイプにもよると思うがゲーマー派であることは間違いない。ゲームに一旦ハマったらやめるタイミングが見つけにくいタイプ。普段の生活よりゲームのバーチャルな世界に逃げてしまう。世界のどこかにいる参加者と一緒にゲームをしている時の様子に聞き耳立てていると、イニシアティブを取って素晴らしい采配をしている(仏語、英語とスペイン語もどきの駆使がすばらしい。なせか日本語は聞いたことがない  笑)

- 本人によるとゲームの世界では気持ち悪くなることはないらしい

- 思い返してみると2人目で、親も慣れてたせいかとても手がかからない子供だった。おすわりができるようになったころ、ベビーベッドに一旦置いて、もう一人の世話を終わって戻ってくるとそのまま仰向けに倒れて寝てしまっているような・・

- これも2人目のせいか、生後4ヶ月から保育園に行っていたが泣くこともなく、いつも笑顔を振りまいていたのでスタッフには超人気だった。1人目は2週間のアダプテーションがあったにもかからわず朝預けにいくとビービーないて毎日後ろ髪を引かれる思いだった。(一人目は生後6ヶ月から預けたが金髪のスタッフが超苦手で、その人に抱っこされると必ず泣いた。「その前に外にでて色々な人種に会わせておかなかったのがダメだった」と言われたが、そんなこと言われても・・・話がそれました)

- だから総体的にとてもイージーな性格かと思っていたが、そうではなくて繊細だったようだ。

- 関係ないかもしれないけど、症状がでる5日ほど前に起きたショッキングな出来事がきっかけとなっているように思えてしかたがない。ドアを最初に開けて非常に取り乱した隣人を迎えた時私の横にいた。その後、家族内でその話題を封印してしまったのもよくなかったかもしれない。

- 自殺というのは気分が落ちた時に発生するものだと思い込んでいたが、薬で気分が高まり何も怖くない状態になる時にも発生することが多いのを知ってビビった。

- 手探りだったので色々な人に相談してみたが、同級生にも数週間や数ヶ月の短期間にしろ同じような症状になった子供が数人いたのに驚いた。と共に、それぞれの親から解決につながった場合のいろんなアドバイスや、相談した人からの色々な考え方を聞けたので、私的にも随分ヘルプになった。

- 話がまたずれるが、小高学年・中学生時代に「学校は今日はどうだった?」と聞くと「普通」とか「特に何も」とかの返事が多くなってきた。そこで「今日クラスでいたずらした子は?」とか「先生に注意された子は?」とか「今日のニュースはなに? バッドニュースから? それともグッドニュースから?」とか等と切り出すと色々喋り出して、最終的にはそのエピソードの中の本人の立ち位置がこちらに見えてきたりして話がつながることが多い。

 

新しい環境でのこの9月の新学期は本人も私たちもドキドキだったが、薬の量を少しづつ減らしたあと、完全にやめて1ヶ月が経とうとしている。

普通の人でさえ気分が落ちる冬期間に入ったこともあり、ここが正念場と思うので、ここは私はしっかり観察しながら乗り切りたいと思っている。

こんだけスポーツしているしね(笑)

 

この出来事でフランスにこんな ことわざ があるのを知った。

「小さい子供 小さい悩み、大きい子供 大きい悩み」

 

ここに記したことは本人了承済み。