人工股関節置換術に至るまで ②
夏休みが終った9月からいつもの日常生活が始まり、私のランニングのルーティーンも始まりました。(夏休み中あまり走っていなかったせいか、股関節痛はそれほどでもありません。)
そんな時、12月に開催されるサンテリヨン72kに参加するラン友たちに誘われて、パリから車で1時間くらいのところにあるフォンテンブローの森の25 Bosses (25個のこぶ) での練習トレランにおまけでくっ付いて行きます。
結果的に、私にとってはもうそれはハードで、全部で山は25個あるはずなので、最初から数えておけばよかった〜 と後悔しながら、終盤は次から次へと現れる終わりなき岩山に辟易の私。
同行のコース経験済みのラン友に「今、何個目?」と聞くと、「わかんない。大体16kmの距離で終わるはず」というアバウトな回答。
え〜 出ましたこれだよフランス人!!(ほとんど切れてます)
岩山はどこも似かよっているし、さっきから何度も道迷ってるし(道しるべはなく、岩の上に時々現れる赤いラインが目印です。またそれが小さいのデス)、間違って2周目入っちゃったらどうすんの!の心境でした。
走れる所は岩山と岩山の平らなところが主で、残りは自然のままの岩山の登り降りで、険しくて半端なかったです。そんなことも知らずについていった私 😰、しかも終盤には晩秋の冷たい雨も降り出し、岩が滑りそうで超怖かったという状態。
約6時間かけて1周を終了、やれやれと思いながらパーキングまでの道のりで、ラン友から「どうしてびっこ引いてるの?」と指摘されます。
本人は全くそういう感覚はなかったのでした。
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※サンテリヨン (Santélyon) は、フランスの南西の山岳部に位置するサンテティエンヌ(Saint Éstienne市) からリヨン (Lyon市) までの72㎞を、深夜0時にスタートし、山岳部を走りぬけるナイトラン中心のトレランレースです。
12月なので雪の悪天候も大ありです。
(写真はお借りしています)
※フォンテンブローの25 bosses
25個の岩山超えのサークルコース。 累計標高800m、1周 16km
(映像はお借りしています)
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昨日のランニング、たった5kmも走ってないのに今朝は首回りがガチガチです。
フォームも1から立て直しってことですね。
走れた
天気がいいので朝ウォーキングにでる。(明後日までに完了しないといけない仕事は後回し、宿題を後回しにする息子と同じ。チハアラソエナイ 💧)
術後のウォーキングは、マイコースのセーヌ川沿いは避けてた。川沿いは風が冷たいし、ランナーばっかりで辛かったし。
いつもの公園も飽きてきたし、今日は月曜でランナーはまばらだろうから久々にマイコースへ。
気持ちいいなと思いながらいつものテクテクテクテク。
横を同年代の女子が通り抜ける。
ついていけそうなスピード。
走ってみた。
聴いていた音楽のボリュームを上げる。
なんて気持ちいいんだろー。
(1キロごとに数分の歩き入れてます)
心拍キビシい。スピードおそい。
まだまだ股関節は準備中みたい。
走れたことに感謝。
人工股関節置換術に至るまで ①
乳がんの薬を飲みながら(といってもホルモン剤による治療なので、副作用と言えばホットフラッシュやら何やらの突然ひどい更年期障害に入ったような症状なのですが、私の場合それほど苦痛に感じません。)、年に1回のパリマラソン、ハーフと20km、加えて、4〜5回/年の16〜10kmのレースに参加しながら、走力の向上に日々努めて(笑)いたわけですが、走るたびに右側の太腿付け根辺りに痛みがでるようになってきます。
(痛みは、正面だったり、側面だったり、お尻の奥深くだったり)
シューズを厚底にしたり(Hokaとか)、インソールを作ったり、マッサージしたり、太腿やお尻の筋トレしたりと色々試しましたがあまり効果なし。
(ストレッチがないぞー! と思われるかもしれませんが、アクティビティ直後にストレッチすると疲れている筋肉に余計にダメージを与えてしまうので、アクティビティから1時間くらい時間をあけた後の方がよい というのがこちらの最近のルールみたいです。「そっか、では後で」と後回しにしてしまうと結局面倒になったり、忘れてしまったりでやらないことになり、それがいけなかったのかもしれません と今は少し思ったりしています。)
そんなこんなで2年くらい施行錯誤を繰り返していました。
即効性があったのは関節内へのステロイド注射。私の場合ですが、翌日から痛みはすっかりなくなり、治療後1週間程は走ってはいけないのですが、その後いつもの様に走っても痛みは発生しません。これで痛みとおさらばだ〜 と毎回思ったのですが、
1回目は半年程、2回目は3ヶ月程しか持ちませんでした。
そんな状態でも、去年の夏休みには20年ぶりに学生時代を過ごしたサンフランシスコに旧友をたずね、当時頻繁に通っていたヨセミテ国立公園内のハーフドームへのトレッキングも 念願の子供達と一緒に約12時間 歩き倒して往復することができました。
(後ろに見えるのがハーフドームです。楽しかったな〜♡)
復路の下りで膝痛を発生し、ふてくされ気味の主人をもり立てながら、私は当日も翌日以降も問題なし。私の股関節、走らなければ大丈夫なのか?という感想だった。
もう1つ、偶然にもその旧友のご主人が、半年後の12月に人工股関節置換術を予定しているという話を聞かされて、その時は人ごとのようにフムフムと左から右に聞いていたんだけどな〜。
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ウォーキング 8.8km
過去の病歴から ②
週末に申し訳ありませんがヘビーな内容が含まれています。
私がランニングを始めた理由であり、人生や考え方をがらっと変えた出来事なので
やはり飛ばす訳にはいきません。
その言葉は2010年春に突然やってきました。
「生憎ですが、ガンが見つかりました。すぐに手術が必要です。」
2009年の眼の一件があるまでは、健康すぎる程健康で医者知らずだった私ですが
その頃から身体の中の何かが崩れたようです。
例年通りの乳ガン検診後、生針検査を受けた後の検査結果を聞きに行った時のことでした。
これまでも同じように検査を受けていつも良性だったので、今回も同じだろうと、
結果には何の不安もなかったのです。
フランスでは、まずは家族に...云々などの気遣いはなく、本人に直接はっきりと病状を伝えます。
何の問題もないと思っていたので告知のとき私は1人でした。
医者も方も心得ているらしく、告知後は患者に全く考える時間を与えません。
「若いのでできるだけ早く手術をしましょう」
「手術は〇日を予定しています。」(え? すぐなんですけど)
「それまでに麻酔医にあって、〇〇と〇〇と〇〇の検査をして、〇〇病院に入院の手続きをしておいてください。これらが関係書類です。」(どーん)
こちらは医療分業化が徹底されているので、自分でそれぞれの医療機関に連絡して予約や手続きを取らないと話は進みません。
ガーンとハンマーでたたかれたような頭の状態に、このやらなければならない数々のことを記憶するのが大変でした。忘れないように頭の中で繰り返しながら病院をでて主人に電話したのですがタイミング悪く留守電。(あーあ 肝心な時にこれだよ全く! 笑)
最初は短いと思った手術までの期間、その後随分長く感じたのを思い出しました。
幸いにも手術とその後の治療が上手くいき、本当にありがたくも私は今ここにいる訳ですがこの時は今までの人生の中の最大のピンチでした。
治療が落ち着いた時に医者から言われた言葉の1つが「再発予防には、定期的な運動が有効」。
その後ジムでクラスをとったり、ヨガやピラテスをしてみたりと色々試してみたのですが、どれもしっくりせず、そんな時に目に飛び込んできたのが女性だけの大会 「ラ・パリジェンヌ」だったのです。
(画像はお借りしています)
距離は6キロ、参加者 約5万人、90%以上がファンラン、歩くの全然オッケー、沿道の応援は参加しているお母さん、奥さんやガールフレンドを応援する男性達と子供達。
エッフェル塔の下をスタートし、エッフェル塔に戻るという最高のロケーション。
その当時ナイキがスポンサーだったのですが、前日にゼッケンをもらいに行った時のエキスポは、もうそれは女性に至れりつくせりの内容で、もちろん乳ガンのピンクリボンのスタンドもあり、それまで数キロしか走ったことのない私にもぴったりの大会だったのです。
当日は9月の残暑でとても暑かったのですが、途中素敵な消防隊が放水してくれたり。
(話はそれますが、こちらの大会は消防士の参加率と消防隊の応援率がすごいです。参加するときはほとんどが消防士と書いてあるTシャツで誇りを持って走ります。また彼らが速いのなんのって、さすが毎日の鍛錬の賜物です。パリマラソンの時なんかは、時々現れる消防隊のはしご車からの放水応援なんかに急にシャキッとしちゃったりして。うん、あれは力になります。笑)
初のメダルと花束をもらって大満足のゴール(注:イケメンとティファニーはありません)、それ以来ランニングの虜となったのはいうまでもありません。
昨日のウォーキンング
2月の手術直後から、医師と医学療法士より
とにかく歩くことがリカバリーを早くすると言われています。
(ただしヘトヘトになるまで歩くなというので調節が難しいのですが 笑)
他には室内バイクと水泳(平泳ぎ除く)でしょうか。
(マラソンカテで毎日こんな内容で申し訳ないのですが、
とりあえずマラソンは目下の私の目標のためお許し頂きたいです。)
昨日のウォーキングの合計距離は8.4km。
半分はポケ狩りの息子に夕方つき合ってもらいました。
私が根を張っているパリでは一昨年から色々ありますが、
一昨日もシャンゼリゼで悲しい出来事がありましたね。
それにしてもパリ人は強いです。翌日も、いつもの週末の午後の日常を続けます。
(観覧車の向こう側がシャンゼリゼです)
夜になって、パリの紋章を思い出しました。
ラテン語で "Fluctuat nec mergitur"、これは「たゆたえども沈まず」すなわち、いくら揺らされても沈みませんヨ。
長らく忘れていましたが、うんうん それだ!
まずは過去の病歴からでしょうか
2009年7月 ある時右目が見えないことに気づきます。深い霧の中といった所でしょうか。
MRI後、脳内の視神経に炎症があるということで、即刻入院となり抗生物質の点滴で4日間集中治療をしましたが残念ながら視力は元に戻りませんでした。
原因は不明、極度のストレスの可能性もあるとのこと。
そういえば職場での人間関係大変だったな。
突然片眼になったので、最初は、段差がわからず踏み外していた歩道、距離感がわからずコップの横に水を注いだりしていましたが数ヶ月で順応しました。
人間の脳ってすごいです。
ランニングで汗が良い方の眼に入ってしまうと大変なことになるので、キャップは冬でも必須アイティムです。(笑)