なんで走り続けるのか‥ みたいなこと
もともと運動は好きな方だったけど、真剣にスポーツを週4、5回とか始めたのは「乳がんの再発対策に定期的な運動が有効」と主治医に言われたから。
それで治療が落ち着いた頃、さっそくジムに入って色々クラスを取っていたけど、なんだか同じことの繰り返しで飽きてきたところに、毎年9月始めにある女性だけのレース「ラ・パリジェンヌ 6km」に出たのがきっかけだった。
そのあとトントン拍子にラン友に混じってほとんどノリで、9月終わりのパリ・ベルサイユ16k、10月中旬の 20km de Paris、翌年3月のハーフの Semi Marathon de Paris、4月の Marathon de Parisと参加した。
最初のマラソンが終わった頃、長男は16歳とかで、学校後は軽めの食事をして水泳クラブへ、毎晩の帰宅が夜の10時過ぎになる程水泳に熱中していた。
その当時、フランスの水泳のナショナルチームは世界のトップクラスで、日本の北島もまだ活躍していたしね。
そんな時、検診系の検査で、彼の心臓の奇形がみつかったんだ。
検査が終わった後、医者から
「お母さんご存知でしたか? 息子さんの心臓には生まれつきの奇形があります」と私たちの前でいきなり切り出された時にはイスからズリ落ちそうになった。
一瞬「奇形」という言葉を間違って理解したかと思った。
生まれてから定期的に小児科の検診を受けていたが、そんなことは一度も聞いたことも指摘されたこともなかった。
全然知らなかった。ガンガン運動させていたことに青くなった。
若い運動選手が、サッカー中とか水泳中に急に倒れて亡くなるのはこういうことだったのかと頭をよぎった。
当然、コンペティションレベルの水泳トレーニングはその日からきっぱり諦めないといけないことになった。
当時、人生の大きな目標を突然失った彼はちょっと大変だった。
ティーンで難しい年頃だったから、ちょっとどころではなかったかな。
私にしても、いつかどこかで彼が突然ばったり倒れて、救急隊から連絡が入るんじゃないかというトラウマで24時間携帯が離せなくなった。
僕は死ぬのかな?と聞かれた時はショックだった。
死なないよ、水泳は諦めないといけないけど‥‥
この1件は自分が癌になった時よりも辛かったと思う。
その時私、心の中で誓ったんだ。
「お母さんが代わりに走りつづけるからさ‥」
ま、そーんな大層なことでもないですけど、
そんな訳で、私がこれまでしつこく走り続けてきたっていう理由の一つがあります。
そして、そろそろ自分のために走ろうかなと思い始めた今日この頃。
自分のために走ってないからいろいろ伸びないのかもね、たぶん。
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今日のトレーニング:
晴れ 2 度( feels like 2度 )
風 0 km/h 湿度:79 %
シューズ:Mizuno wave Emperor
アパートの玄関ホールで
Dynamic Warmup Streches to do before every run とドリルをして
いつものように以下2点だけ注意することに
- 着地を体の下に置くこと
- 浮足が4の字になるようにイメージして
距離は5kmを目安
マラソントレーニングは11月の12日か、19日の週くらいからと思っているので今はお好きなようにというスタンスです。
Garmin内の心拍ゾーンを、またもう一段あげました(既成のチャートに200以上はないので手入力 笑)
一応走る前に腕をぺろん
走っている間ガーミンは見ていませんけど、6分を切ると絶対負荷のかかるゾーンに行くと思ったので全開にはぜず
決して楽なスピードではなく、「楽な最速」よりやや速い感じだったですけどゾーン4だからまだ速いってことになりますね。
New York City Marathonのお友達はいろいろ堪能しているみたいです。
このNYの空は、いつものパリの空に似ているけど、
こちらは今日は青空で、川沿いの並木の黄色がキラキラきれいだったです。